「笑うベートーベン」(その10)
B : ベッティーナ・ブレンターノ
L : ルードウィヒ・ヴァン・ベートーベン」
B:今回の「笑うベートーヴェン」はイギリスの代表的詩人でありますワーズワース氏と
友人のコールリッジ氏がドイツに旅行中とのことなので、
わがL君がハンブルグまで飛んでインタビューをとってきました。
その詳しい内容は後日このラジオ局から「ベートーヴェンとワーズワースの庭」として
本が出ます。どうか楽しみにお待ち下さい。
それで当番組としてはそんなオフィシャルなものではなくもっとバカ話みたいな、
L:おいっ!
B:いやまちがえた、こぼれ話のような内容でその時の様子を紹介してもらおうかと
考えております。 まずどうだったんですか?全体の印象としては。
L:うん、非常によかった。ワーズワース氏とは互いに 70年生まれで同年だったし
コールリッジ氏は2歳下なんだけど時代感覚はバッチリだな。
ワーズワース氏は気さくな人で、どうか自分のことをウイルと呼んで下さいって
言ってくれたりして気楽に始まったね。 それで俺も言ったんだ、私のことは
どうかL君ってよんでください。
B:それ、おかしいんじゃないの?
L:いいんだ、そういう流れだから。 コールリッジ氏はサミュエルだから
ハーイ、サミーって言ったら豆がのどにつまったような顔してグッ、グッって言ってた。
ちょっと変なんだ。
B:ハッハッハ(笑)それはあんたが変なの。
L:こちらがウイルと話してるだろ、サミーは全く関連のない話をはじめるんだ。
はじめはなんとか話を合わせてたんだけど、どうも目が遠くを見てるんだな。
あれは悪いクスリでもやってるんじゃやいのか?
B:ワーズワース氏はなんにも言わないの?
L:これが言わないんだね。しかしウイルは男っぽい人物でなかなかの紳士だよ。
彼の詩も最近かなり売れてきて「子供は大人の父である」のフレーズが
ワーズワースの詩の一節だということを知らない人たちもいて昔からの諺だと思って
る。それは大変困ったことだと苦笑いしてたね。
B:それでどんな曲が好きだって言ってました?
L:イギリスではどういうわけかヘンデル、ハイドンが強くておいらの作品はこれからと
いった感じなんだけど、ウイルは先月、あるサロンでヴァイオリンソナタの7番を
聴いたっていてたな。とても強い印象があったと褒められた。
B:あれは私も好きです。
L:ふーん、どんなところがよかったの?
B:冒頭で「バーン!これでもか!」 「バーン!これでもか!」というところ。
L:ワッハッハッハ(笑) それじゃ「けんかソナタ」だ。
B:同じ音形が二度繰り返されるのはL君得意のパターンでしょ。
あっ!来た来た、これぞベートーヴェンって空気がいいよね。「運命」が代表だけど。
L:フッフッフ(笑)それはどちらもハ短調なんだ。
それより今回ワーズワース氏に一番聞きたかったのは
「詩的想像力の解放区」や「素朴なカントリーライフの栄光」みたいな、
ハイデガーの思想に近くなってるところだ。 果たして近代化する社会への批判が
こめられているのかそこらへんだよな。 しかし議論が熱くなってくると、となりの
トトロみたいな体型のサミーが、異常にしゃべり出して収拾がつかなくなり中断されて
しまうんだ。 内容はかなりレベルが高いだけに、あっちへ行けとは言えない事情も
あって、なかなか大変だった。でもウイルの「 スポッツ・オヴ・タイム(spots of time)」に
ついては大いに意気投合して熱く語り合うことが出来たと思う。
「詩的想像力の解放区」や「素朴なカントリーライフの栄光」も、たまたま
ハイデガーの思想と似かよった箇所があるというだけでやはり彼独自の
「スポッツ・オヴ・タイム(spots of time)」が原点だな。幼児期の濃密な時間を人生の
基本に置く思想だ。 それが自分を貫いたとき、そこは過去でも未来でも現在でもない。
「今ここに」という「瞬間」なんだ。
これはゲーテ大先生もいつも言ってることだよね。
B:「瞬間」ね、そう。ゲーテパパはよくいいますよ。
「過去」があると「今」の状況はその「過去」から説明がつく。
また「未来」があるとそこへ向けての「目的」が生じてしまう。
それを嫌って「瞬間」を何とか掴もうとしたんです。
L:ワーズワース氏の「スポッツ・オヴ・タイム(spots of time)」も意味としては
ほぼ同じだ。大人になって失われてゆく子供の無垢な感性をいってるんだ。
やはりこれも時間の流れから独立した世界になってるんだと思うよ。
その考えを得るきっかけになった子供時代の怖い思い出なんかも聴けて面白かった。
B:いま世の中はすべて社会の原則があって統一のルールで動いているでしょ。
それが近代化された社会の悲劇ですよ。なんと言っても我慢できないのは、
「時間」まで一定のレールの上を走っているってこと。
時間なんて本来それぞれの生き物が独自にもっているものじゃないですか。
L:うーん、そこまで言うかという気はするけど、話を聴いてるとクレメンス兄貴に
ずいぶん似てきたね。
B:ハッハッハ(笑)いろいろお騒がせ男ですけど、やっぱり兄の感性は大好き!
L:最近ではドイツロマン主義の先駆者としての呼び方が定着しつつあるのは確か。
「ローレライ」の詩もかなり評判になったな。
そこで今度はワーズワースやブレイクと並んで英国ロマン主義文学のリーダーの一人
コールリッジ、サミー、トトロなんだけどね。
B:ハッハッハ(笑)やっぱトトロはまずいっすよ。
L:やはり哲学的な造詣の深さではウイルよりも確かなモノを持ってる。
ただ対話というものが成り立たないんでね。要点をメモするだけだ。
これが慣れてくると意外に気は楽なんだ。
つまり彼が言わんとするところはロマン主義の神髄は、「世界を内面化し内面を世界化
する」これだと言うんだ。僕の考えでは「ワーズワースの詩の世界」というのは
サミーが相当に影響を与えてるな。 とくに「世界を内面化し」に関しては。
中国の漢詩もこの手法だと思うんだ。
その次の「内面を世界化する」は表現を逆にしただけのようだけど結果的には
果てしのないゴシックファンタジーになってゆく。
「コールリッジの詩の世界」はあきらかにこっちのほうのだ。
綺麗に作れば「ハリーポッター」や「ロードオブザリング」になってゆくんだけど
これをずーっと発展させていくと手のつけられない異形の世界にまで踏み込んで行く。
B:だけどそれらの作品は人々のスカッとしたい気持ちとピッタリあうんだろうね。
L:まあね、「内面を世界化する」とはいっても、「内面」が何者なのか人々は掴みきれ
ない時代になってるではないのかな。それは底なし沼の探検みたいに狂気の世界に
はまりこんでゆく危険性も含まれているぞ。