「笑うベートーベン」(その8)

B:本日の「笑うベートーベン 」は始めからL君の機嫌がよくない。
  それもかなりのレベルで怒ってます。
  体でもどっか悪いんですか?

L:何んだよ そんな言い方はないだろ。
  実はある雑誌でね Sという評論家が こんな事言ってるの。
   “現代のキャラクター産業を裏で支える大きな要素は
   「セクシャリティー」なのです。このジャンルの成長の要因は
   実はそれが一種の「性産業」だという点にあります。”
  ここまではまあそんなもんだろうかと思って読むんだけど
  その後どんどん調子に乗って 
  俺の好きな宮崎駿のアニメ作品にまで
   “その意味では「ロリコンエロ漫画」と同列に論じる事が出来る。
   それはひとつの同じ文脈から生まれたものなのです。”
  なんて書いてある。
 宮崎アニメのほとんどが美少女を助けるため少年や男達が
 必死になるのを見てこの評論家は感じるものがあったんだろうな。

B:そりゃあファンとしては許せないですね。
  そんなのは あれですよ 年中、汗のしみこんだ同じ服を着ているような
  むさくるしいヤツですよ。

L:そんな、外観は知らないよ、俺は。

B:うん、たぶん安いサングラスかけて靴の汚いイヤなヤツなんですよ そいつが。

L:だから勝手に想像してしゃべるな。
  まあこれはね 確かにある面を言い当ててはいるんだ。

B:あれっ?そんなに賛成しちゃったら駄目じゃないですか。

L:いや問題はどのレベルで作品を鑑賞するかということだろうと思う。
  低い位置でみれば一人称のオタクの世界だけど
  中くらいの位置でみれば二人称を含む愛の世界、
  もうちょっと高い位置からでは
  客観的な視点と内にこもりがちな愛の世界の調和でしょう。
  言葉では簡単に言えるけど難しい作業にはなりますよ。

B:この世の事件の半分以上はその作業の失敗じゃないんですか。

L:アッハッハッハ(笑)おもしろい、いいこと言うよ。
  そしてもっと極端に高く 神の視点になれば それはもう
  包む空間としての「愛」だ。
  視点のレベルで内容が変わってくる。
  そしてこの恐ろしさに評論家Sは気づいているのか!
  というムカツキだね。さきほどからの俺の怒りは。 
  でその時、少女は「命」の象徴として登場しているんだ。
  命だからどんな虫けらにも存在する。
  それでどんな愚劣な視点にも適合はしてしまう。
  どんな見方も成立する。 そこが危ない部分でもある。
  視点のレベルを底辺から頂点までパノラマ式に示してくれる
  優れた芸術作品になるたけ多く接することが重要だな。

B:分かりやすい例をなにか出してくださいよ。

L:そのよい例はダンテの「神曲」でしょう。
  これは低いレベルで苦しんでいる者、救いを求め立ち上がろうとしている者
  など当時の事件や歴史上のスキャンダルを
  まるでトップ100カウントダウンみたいにズラーッと並べた作品ですね。
  ランキングが上がってゆく過程はダンテの心の成長なのかもしれない。
  作者の少女(ベアトリーチェ)への強いあこがれも
  視点を高くとっていればあそこまで高い地点に到達できるんだ という
  典型的な例でしょう。

B:あっ、うれしいですね、イタリアンとしては。
  イタリア古典が出てくるとは思わなかった。
  ダンテの「神曲」ですよね はあー ねえ、 やっぱ「神曲」なんだ。

L:なんだよ、気持ちの悪い、、

B:去年の事ですけど、私、イギリスへ行ったんです。
  Lちゃんもよく知ってるテレーゼ女史のカバン持ちとして。

L:へえー 何をしに?

B:目的は「新しき婦人の会」の総会があってその中の
  “「奴隷貿易に対する教会の立場と見解」の内容をめぐるストラテジー”への出席。

L:ハッハッハ(笑)早口言葉の試合みたいなものかい。

B:そんな訳けないでしょう。不謹慎なこと言わないでくださいよ。
  ちゃんと火の出るような議論をしてきましたよ。
  テレーゼさんにくっついていくつかそんな集会に参加させてもらってるんです。
  もう彼女は私にとってのあこがれの女性像なんです。

L:ワッハッハッハ(笑)君とちがいすぎるよなあ。

B:ほっといて下さい。で、仕事がすべて終了した翌日に二人で思い切って、
  詩人で画家のウイリアム・ブレイクに会えるかどうかアポイントをとってみたんです。
  それが大当たりでその日のディナーに本人から招待されたんですね。
  なんでもためしてみるものですよ。
  その時にLちゃんの「第九」の話が出てブレイク氏がいうには
  あの曲は「神曲」そのものだって言うんです。

L:なるほどね、さすがブレイク!
  たしかお父さんがダンテの研究者だったね。

B:そうなんですか、その辺の事はくわしくは知らないんですが。
  とにかく「神曲」の冒頭の言葉でこれはベートーベンの開始部分だと
  確信したのだそうです。
  それはこうなっています。「私は人生の道の半ばで暗い森の中にいた。
  平坦な道は失われていた」 そして最終句は「私の心は大きな車輪
   それは愛によって回る。 太陽や星たちを動かすあの愛によって」
  これでパッと「第九(合唱)」がうかんだということです。
  この曲の各楽章と「神曲」の地獄篇・煉獄篇・天国篇の対比もまっとうな解釈でした。
  印象的だったのは、その時まで静かに話を聴いていた
  テレーゼさんが言った言葉でしたね。
   “ダンテとベアトリーチェの描かれ方とベートーベンが「第九」の最後に
   人の声・合唱をもってきた作り方に類似したもの、「女性の愛のちから」を感じる”、と
  言われたときには正直、驚きました。
  特に私なんかL君の女性とのゴタゴタ事情を知ってるだけに
  一瞬凍り付きましたよ 本当に。

L:オイッ!BeBe!おまえ、どこまでチャラチャラしゃべる気なんだ。

B:いやいや、そうじゃないですって、始めに出てきた「セクシャリティー」が
  想像以上に普遍的な問題だと言うことが驚きだったんです。

L:テレーゼさん、もうこんなBeBeみたいなおしゃべり女を一緒に連れて行くのは
  やめてください。お願いしますよ。

B:ちょっと、何て事いうんですか!まだ具体的に何にも言ってないでしょ。
  それは八つ当たりというものです。アッハッハッハ(笑)